私が亜美を好きになったのは多分、98年に入ってすぐくらいだと思う。
当時、中学1年生だった私は、たまたま日曜夜9時からテレビ東京でしていた「ASAYAN。」のオーディションを見て鈴木亜美(当時15歳)の顔を見て、すぐに好きになったから。
その時は多分、まだモーニング娘。のデビュー前後で母親が何気なしに見ていたのをちらっと見たのが始まりだったと思う。
正直な話、よく覚えてないんだよね。
ただ、鈴木亜美と言うショートカットでかわいらしい女の子に電話投票をしたのは覚えている。
そしてその女の子が電話投票で見事1位になり、デビューする権利を得たのも覚えている。
当時から私はアイドルや、かわいい女の子が好きだった。
だから笑顔で楽しそうに歌う鈴木亜美と言う人間にすぐいに惚れ込んだ。


私は鈴木亜美が鈴木あみに改名してデビューしたのはしばらくは知らなかった。
ASAYAN。がどの局で何時から放送されていたのか知らず、その頃は塾とかが忙しかったから見る暇がなくなっていたのも事実。
9月のある日、私がその当時友達みんなで購入していた「My Birthday」と言う、占いが中心のティーン誌を学校に持って行き、みんなで見ていた。
その月のインタビューがたまたま鈴木あみで、たまたまそれを見た当時好きだった男の子が見て、「鈴木あみが好きだからこのページをちょうだい」と言って持って行った。
その数日後、たまたま入ったCDショップで2ndシングル「alone in my room」を見つけ、あの子が言っていたヤツじゃないかと思い、迷わずにCDを購入した。
「love the island」と言う曲名は知っていたけれど、それを鈴木あみが歌っていた事は知らなかった。
当時はかなりのミーハーだったので、流行物である鈴木あみはすぐに私のお気に入りになった。
その頃は安室奈美恵やglobe等の高音が多い小室サウンドを気に入っていたので、小室哲哉プロデュースである鈴木あみが私のお気に入りになるのは、この偶然の出来事を除いても必然だったと思う。
それからすぐに鈴木あみが電話投票をした鈴木亜美だと言う事に気付き、ASAYAN。の放送時間も覚え毎週のように鈴木あみを見る生活が始まった。


CDが発売すると必ず学校へ持って行ってみんなにCDが発売した事を告げた。
だから鈴木あみファンである事を周囲に知られるようになった。
おかげで誕生日に友人から写真集をもらえた。
その当時は鈴木あみがなぜ好きかと尋ねられたら「かわいいから」「曲が好きだから」と答えただろう。
当時の私はテレビ番組はASAYAN。くらいしか見ておらず、鈴木あみの内面はほとんど知らなかったから。
雑誌を時々購入するようになり、ラジオを聴くようになったけれどやっぱりそれは変わらなかっただろう。
その当時はモーニング娘。やSPEEDも好きだったし、小学生の時から相川七瀬も好きだった。
その中で誰が一番好きかと言われると鈴木あみとはっきり言える。
テレビ番組に出演する情報を聞けば必ず見ていたし、ラジオは電波が悪いにしても毎週聴いていた。


それでも今に比べれば好きの度合いはかなり低いもので、鈴木あみはいつか消えていってしまうアイドルだと強く思っていた。
高校2年生になった2000年。
あみのセールスの頻度は各段に下がり、音楽番組の出演もほとんどない状態で女優鈴木あみを見た。
当時はあみが毎週テレビで見れる事が嬉しくて何も考えずにしょっちゅう録画したドラマを見ていた。
鈴木あみはいつか消える存在として今好きならばそれでいいと思っていた。
けれど、2001年3月8日。恐れていた事が起こった。
学校から帰ってきて新聞を見たら鈴木あみ引退の文字。
当時は朝8時過ぎに起きていたために、芸能情報は新聞で得るしかなかった。
鈴木あみ引退の文字を見て、一瞬事態がよく飲み込めなかった。
当時の私は一人であみを応援していたために、誰とも情報を交換することはなかったので、突然の報道に本当にわけがわからなかった。
そしてその瞬間に気持ち悪くなった。
次の日から毎日スポーツ新聞の芸能欄をチェックする生活が始まった。
なぜそこまで鈴木あみと言う存在に執着していたのか、なぜそこまで鈴木あみと言う人間を追いかけていたのか。
それはただ、純粋に「鈴木あみ」と言う一人の人間を愛していたからかも知れない。


ただのミーハーファンであったはずの私はいつの間にか鈴木あみの魅力に憑りつかれたように彼女を好きになっていた。
正直な話、しょっちゅうテレビ番組は見逃すわ、CDケースは割るわ、内面についてはほっとんど知らなかったけれど。
たまたま鈴木あみと言う存在に出会ってからは私は鈴木あみと言う人間と常に一緒にいた。
毎日毎日飽きもしないでCDを聴き続け、何度も何度も同じ映像を見た。
本当に好きで好きでたまらなくなっていた。
姿形は見えなくとも、鈴木あみと言う存在はずっと私の奥底にあった。
鈴木あみが私を構成している一部だと言っても過言ではないくらい。
だからこそ、引退状態の続く中でも私は鈴木あみをあくまでも個人的にだけれど、あくまでも陰ながらだけれども、応援する事ができたのだと思う。
一緒に応援する仲間がいなくても、耳に入ってくるのは鈴木あみを誹謗中傷した記事ばかりでも、私はあみを好きでい続ける事ができた。

2002年11月14日に鈴木亜美として公式サイトのオープンを通して再び私の前に現れるまでは。